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第145回ロンドン会座報告

第145回ロンドン会座は、六月三十日三輪精舎で開催されました。このお会座の中心は、仏教徒であった俳人、松尾芭蕉についてのジョン・ホワイト先生のご講話でした。今年の六月は、一日と二日、二十二日と二十三日、二回の週末がガーデン・オープンにあてがわれて、三輪精舎にとっては非常に忙しい月でした。それでもなお、みんながホワイト先生のご講話を聴けるというので興奮していました。なぜならば、最近多くの人々がホワイト先生と顕明師によって出版された『5‐7-5 芭蕉の俳句』というすばらしい芭蕉の句の英訳本を愛読していたからです。

ホワイト先生のお話は俳句の歴史から始まり、俳句は独立した詩の形として出来たのではなく、実際には「連歌」と呼ばれる連続的な詩の一部であったと説明して下さいました。その連歌において、一々の詩句は別々な詩人によって詠まれたものでした。続いてホワイト先生は芭蕉の句に共通して見られる特徴の説明に移られ、たとえば、色が香りをもっていたり、香りが音をもっていたり、彼の俳句においては諸感覚が結合しているのですと話されました。このようにして、読者には、すべてが一つであるという感覚が、一切衆生救済の阿弥陀仏の本願に見られる「一切の有の一如」という感覚が伝えられるのですと仰いました。次にホワイト先生は、原文の意味やリズムや強調の仕方が保たれるように、用心深く精魂を傾けて芭蕉の句を英訳した翻訳過程の詳細を語られました。その説明を聞きながら、どうしてこの英訳句の読誦が非常に深遠な響きをもたらすのか、私にとってやっとその理由が明らかになりました。この俳句の英訳は、決して単なる逐語訳でなく、精神的な深みのある芸術作品です。

ご講話の間に沢山の句例を次々に取り上げられ、それを説明し分析して下さいました。私は特にホワイト先生が幾つもの俳句の背後に潜む深い仏教的情緒を説明されるのを聞いて非常に嬉しくなりました。特に仏教的な言葉を用いてもいない俳句においてさえ、その背景には深い仏教的情緒のあることをお話し下さいました。ホワイト先生はまた「ちょうど禅ガーデンのように、すばらしい俳句は、いったん知ったら、いつもそこに帰っていかざるを得ません」と仰り、「俳句に到達できるのは、ただ眠りにおいてだけ、すなわち下意識の奥深く、言葉や意識的思想の領域を超えて行くことによってのみです」と続けられました。  

ご講話に引き続いて、最初の質問は三輪精舎の活動への常時参加者、ジェニーさんからでした。彼女は、俳句の一番いい読み方を訊ね、一日に何句読むのがいいですか、俳句の季語のシーズンにその俳句を読むべきですか、等々の質問をされました。ホワイト先生のお答えはこうでした。いろんな意味で俳句は自然界を背後にして読者を別世界に誘います。そういう意味では、当面の自然界の季節は、読むべき俳句の選択に重要とはいえません。一日に幾つの俳句を読むべきかという質問には、幾つの俳句ということはありませんが、沢山の句を読み進むというのは有益ではありません。この点に関しては、一頁に一句という具合に、一つひとつの俳句を別々に提示することを心掛けましたし、読者は時に応じて一つひとつの俳句に集中できるようになっています、と応えられました。

次の質問は、メラニーという新しい会座参加者からでした。彼女はホワイト先生に対してさらに、俳句の英訳過程について質問しました。ホワイト先生は、翻訳過程は自分が一連の興味深い俳句を選ぶところから始まります、と応えられました。次に顕明師が日本語を英語に翻訳しますが、それは日本語の原句の本来の意味を保つためにすべての努力を尽しながら、ホワイト先生の翻訳が原句の音節構造(普通は5-7-5ですが、必ずしもそうなってない場合もあります)に適合できるように配慮している作業です。翻訳過程のこの段階では、二人の間に行きつ戻りつかなりの議論があって、それは二人が合意して翻訳が完成するまで続きました、と応えられました。

顕明師はこの説明を更に補充して、日本の古文には時おり理解の難しいものがあるので、逐語訳はしばしば困難に遭遇しますと言われました。しかしながら、単なる言葉の翻訳よりもっと難しいのは、詩は「下意識においてのみ到達できる」ということであり、ホワイト先生はご自身が詩人であるが故に、その点が立派にこなせたということになります、と続けられました。顕明師は、ホワイト先生との議論を通して、俳句の本当の意味を理解するということも、しばしばあったと言われました。最後に、佐藤顕明師は、準備中の一茶と蕪村の俳句集が出来るだけ早く出版されるように、現在はその仕事に全精力を集中したいということ、そしてそれは彼の人生の最大の喜びの一つであると言われました。

三輪精舎の活動の初期協力者の一人であるモントゴメリー博士は、ホワイト先生と顕明師が最初に出会ったときご自身がそこに居合わせたということ、そしてこの二人の特別な関係が、芭蕉の句の共訳という形で結実するのを目撃できて、非常に嬉しく思っていると述べられました。まず日本語の原句、続いて音声学的ローマ字表記、そして最後に英訳という風に、芭蕉の英訳本が細心の注意を持って配置されているのは、ジョン・ホワイト先生に独特な仕事ぶりだと感じていると仰いました。モントゴメリー博士はこの本の出版を眼前に見ての喜びを表明されました。

お同行の水谷文さんは、毎朝瞑想の時間に続いて芭蕉の英訳を読んでいると言われました。芭蕉の俳句は、以前から読んでいたにも拘わらず、この英訳本を読むことによって、始めて本当に芭蕉に出会えていますと言われました。ですから、一茶の本が終ったら同じように一茶に「会える」ことを期待していると仰いました。これに対してホワイト先生は、一茶の本が出来るように全力投球していますし、俳句の本の仕事をしていることが私を生かし続けてくれていますと仰いました。

さまざまな三輪精舎の活動への参加者の一人、シーナさんは芭蕉の句の本を楽しんでいると言われました。毎日一句を読みながら、ホワイト先生のほかの詩も愛読していますと言われ、「ホワイト先生は自分は仏教と出ないと仰るかもしれませんが、彼には強い仏教的性質があるように見えます」と付け加えられました。

この時点で、お会座に休憩時間を取って、三輪精舎のために購入された俳句の掛け軸を皆で拝見させて頂きました。芭蕉、一茶、蕪村のそれぞれに一幅づつ掛け軸があります。多くの人々が時間をかけて掛け軸を鑑賞しました。ホワイト先生は、一茶の掛け軸は非常に幸運な買い物だった、というのは、最低限本物の一茶が得られればいいと諦め掛けていたのに、最後には本当にいいものが入手できたからですと仰いました。

次には、毎年夏に三輪精舎の庭仕事に来て下さる小河正行氏が、司会のアンドリューさんに歓迎の言葉を投げ掛けられ、何か話すように促されました。小河さんは、毎年夏二週間三輪精舎に来るのを楽しみにしていますと仰いました。そして、最近日本で経験した本当に嬉しかった或ることについて話されました。小河さんには、過去十年間彼のために働いて間もなく独立するお弟子さんがおられます。間もなく独立するということもあって、小河さんはそのお弟子さんに正行寺で聴聞することを薦めました。彼は小河さんの助言を受け入れ、お寺で一週間を過ごしました。聴聞の期間を終えて、そのお弟子さんは次のような感想を抱いたそうです。自分自身を木の幹だとすると、自分を支えてくれている人々はみんな枝や葉、ご両親は木の根です。根というのは日頃は見ないものだけれども、根のはたらきを思い出すことは重要であり、同じことが親についても言えます、と仰ったそうです。小河さんはこの感想を聞いて感動して、自分自身の両親は残念ながら死んでしまっているけれども、自分の周りの人々がみんな自分を支えてくれている根であると感じたと仰いました。小河さんは「どこに行っても私たちには木が見れます。同様に、どこに行っても私たちは自分の両親の影響を見ることができます」と言われました。「これはお念佛と一緒です」と仰いました。小河さんのお話が終ると、ホワイト先生が立たれて、小河さんのような偉大な庭師に三輪精舎の禅ガーデン建設を助けてもらうという途方もない恩恵を被っているのだということを、皆に思い出させて下さいました。ホワイト先生は、もともと小河さんの助けなしにはこの庭は存在してもいなかったでしょうと仰いました。

次に司会のアンドリューさんは、日本の新天皇が佐藤顕明師の平和と和解に向けてのはたらきを認めて旭日双光章を授与されたということを発表されました。日本文化を西洋へ紹介する努力、日英戦士の和解活動の推進、日本近代化のために19世紀末ロンドンに留学したけれども残念ながら斃れてしまった留学生たちについての発見等々、いくつかの例を挙げて顕明師のはたらきを紹介されました。

最後は石井建心師のお話でした。建心師は、ホワイト先生と顕明師の芭蕉の本の共著に対して感謝を捧げると共に祝意を述べられました。建心師は、ホワイト先生、顕明師、小河氏の話しを聞きながら、三人は別々だけれども一つだと感じたと心中を披瀝されました。なぜなら、小河さんになしには禅ガーデンはあり得なかっただろうし、ホワイト先生と顕明師なしには禅ガーデンも著作も天皇陛下からの叙勲も無かっただろうからです。建心師は私たちみんなに、これらはすべて阿弥陀の光りの下の出来事であり、三輪精舎の根底は精神的出会いであるということを思い出させてくれました。建心師は、佐藤博子さんは既に三輪精舎の根と成ってしまわれたし、ホワイト先生と顕明師もいつの日か精舎の根として博子さんに加わることでしょうと仰いました。ですから、若い世代の人々は、しっかりとこの事実を受け止め消化して三輪精舎のために働き、三輪精舎が強く生き抜いて単なる歴史的遺構にならないように努力する必要があると仰いました。建心師は、今年は三輪精舎建立二十五周年であり、それ故に精神的出会いがすべてを可能にしたということを思い出すことが重要であり、この教法を正受することによってお寺に帰る必要があるということを思い出させてくれました。

私自身はお会座の間にホワイト先生と顕明師と小河さんの偉業を見て大きな感動を覚えました。彼らはたましいを目覚めさせ、彼らの努力によって私はすばらしい俳句の翻訳や美しい禅ガーデンや法話を聞ける特別な場を満喫できています。佐藤顕明師の言葉に遵って、彼らの苦労を心に留めつつ、三輪精舎が前進できるように、せめて出来るだけのことをしながらお手伝いさせて頂きたいと思います。

クリストファー・ダックスベリー